【お城データ】 | ||
形状: | 平城 | |
所在地: | 福島県会津若松市 | |
交通: | JR会津若松駅 バス20分 | |
築城年: | 寛永十六年 (1639) | |
城主: | 蒲生氏郷、加藤明成 | |
遺構: | 天守閣(復元) 干飯櫓(復元) 鉄門 (復元) 石垣、堀 | |
【写真GALLERY】 | ||
御薬園 稲荷神社
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見どころ | 【日本100名城】 現在東北の中心地は仙台だが、関が原前までは確実にこの地が東北地方の中心地であったと思う。 歴代の城主を見ればそれが判る。 会津若松城の一番の見どころは天守閣ですが、天守の石垣がほかの場所と違うのに気づくと思います。 蒲生氏郷時代のものでかつてはここに7層の大天守が上がっていた。 そのため7層から5層に縮小した際に石垣と建物が合わなくなった。 また天守入口上部の石も違和感(建物と合っていない)がある。 もう一箇所、蒲生時代に城の入口方面と言われた廊下橋付近の枡形と高石垣が立派である。 東北地方でこれだけの高石垣は稀である。 【阿弥陀寺】 若松市七日町(城と駅の中間)にある寺。 本丸に石垣を残すが、御三階櫓の建物部分をみることができる。交通の便を考えるとタクシーでの移動が便利 本丸石垣に戻された姿が見たくなる。 【さざえ堂】 飯盛山中腹にある木造の六角堂。正式名は「円通三匝堂」(えんつうさんそうどう) 入口から螺旋階段(スロープに近い)を登っていくが階段の側面には観音様があって1廻りすることにより三十三観音めぐりができた。 堂の頂上から反対側の階段を降りて行くと出口に出るが、上ってくる人とは出会わない。 上りと下りが別階段となっており、ロワールにあるシャンボール城も同じ造りでダ・ヴィンチ設計と言われている |
所見 | 初回は小学生の時に叔父に連れられ訪れた、小田原の次が会津若松城だったため、城には天守があり石垣があるものだと思い姫路城のプラモデルを買って完全にはまり込んでしまった。 城を白黒写真で撮った記憶があるが磐梯山や五色沼はあるのに、城の写真だけ出てこない。 その思い出の天守は頭の中でいつまでたっても白黒だった。 2度目は2007年もう何十年も経過していた。 真っ白で見事な層塔型天守、最上層の欄干が異常に赤く感じられ歌舞伎の舞台装置の一部のよう。 戊辰戦争で朽ちかけた古写真、小学生時の白黒写真と私の中ではセピア色が似合うお城です。 |
アクセス | 【鉄道で】 JR会津若松駅からは大分離れていますしバス便も少ないので、タクシーで行くのがベストです。 行きも帰りも1,000円でした。 【車で】 駐車場は良く完備されている。 御三階櫓、飯盛山、さざえ堂と見学するには駅前にてレンタカーを借りるのが良いかと思います |
西大手門より北出丸方向を望む | 西大手門跡の石垣 | 西中門跡 |
帯郭より太鼓門跡を見る | 裏門跡より本丸に入り天守を望む | 本丸内より天守 |
まるで戦艦のよう | 昭和40年に天守、走長屋が復元された | 干飯櫓と南走長屋は木造にて平成13年に復元される |
鉄門と天守 戊辰戦争時容保はここで指揮を執った | 天守 晴れた空によく映える | 天守入口 |
天守より走長屋、鉄門、南走長屋、干飯櫓を見る | 天守より本丸 | 天守より磐梯山方面を望む |
干飯櫓より出て鉄門、天守を見る | 本丸月見櫓跡 | 高石垣より廊下橋を見る |
廊下橋門の枡形 | 本丸内御三階跡石垣 建物は市内阿弥陀寺に現存 | 廊下橋 天守最上階が見える |
廊下橋より高石垣を見る | 鉄門より天守 本丸より帯郭へ | 蒲生時代の7層天守台に5層の天守が建てられている |
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