【お城データ】 | ||
形状: | 平城 | |
所在地: | 長野県長野市松代町 | |
交通: | 信濃電鉄松代駅 徒歩5分 | |
築城年: | 永禄三年 (1560) | |
築城者: | 武田信玄 | |
城主: | 松平氏−酒井氏−真田氏 | |
遺構: | 太鼓門(復元) 北不明門(復元) 石垣 土塁 堀 | |
【写真GALLERY】 | ||
(周辺観光) 松代城下 善光寺 |
見どころ | 【日本100名城】 もともと松代は信玄が越後攻略を目指して築いた海津城に始まる小さな城下町です。 しかしながら各時代時代の痕跡を残す、日本でもまれな場所と思えます。 戦国時代・・・川中島合戦跡として八幡原史跡公園、妻女山があります 江戸時代・・・真田家10代の城下町として栄へ文武学校、真田邸あたりが城下町を彷彿とさせる 明治維新・・・維新の偉人(異人)佐久間象山の出身地 記念館や神社がある 戦時下・・・・・終戦まじか象山に壕を造り、大本営をここに移動させ、徹底抗戦すべく計画された。 その壕が象山地下壕として残る 現在・・・・・・・長野オリンピックのメイン会場がある。 川中島四次合戦の主戦場あたりと思われるが 整備される前は、海津城石碑と苔むした石垣が残るだけで堀は埋められ石垣のすぐ下にホームベースがある野球場でしたが 本当によく復元されました。 現在、太鼓櫓と枡形、北不明門と枡形、埋門、それと水堀が立派に復元され小さいながらも見どころが多い城となっています。 【文武学校】 松代藩が安政2年(1855)に開校した文武併習の学校 【真田邸】 9代目藩主が義母のために元治元年(1864)に建てた御殿 【八幡原古戦場】 |
所見 | 以前は海津城跡と呼ばれることが多かったと思う。 よく整備された今、城の縄張りは江戸時代の松代城のものである。
しかしながら妻女山や八幡原古戦場跡をみるとここは「海津城跡」という呼び名が似つかわしくなってくる。 小さな城下町であるが、端正な感じがして、城も含めて好きな城下の一つです。 晴れた日は平城独特の明るさがある |
アクセス | 【鉄道で】 長野電鉄松代駅駅前 上田駅から長野電鉄に乗り換えるが本数が少ないため時間に注意が必要 【車で】 上信越自動車道長野ICから5分とかからないところに駐車場(無料)があります。 ここから城へ向かうと搦手から北不明門へ出ます。 ここも車が便利です |
二の丸南門 奥には太鼓門 ここから入城 | 太鼓門と木橋 | 手前が橋詰門 奥の櫓門が太鼓門 |
太鼓門(櫓門) | 太鼓門は平成16年に復元された | 東不明門跡の木橋 |
二の丸 堀と石垣 奥が太鼓門 | 二の丸石垣 | 本丸内石垣 |
天守代用の戌亥隅櫓台 | 戌亥隅櫓台より北不明門枡形をみる | 北不明門(櫓門) |
北不明門枡形の土塀 | 北不明門(高麗門) | 戌亥隅櫓台前の井戸(復元) |
二の丸埋門 | 二の丸 復元土塁 | 石場門跡の復元石垣 |
文武学校横の土塀 城下町らしい雰囲気を 醸し出す | 文武学校 表門と剣術所 | 文学所玄関 |
文武学校 御役所 | 真田邸の裏門? | 真田邸の蔵 訪問時は真田邸改修のため 見学は不可だった |
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