沼田城


【お城データ】
形状:丘城
所在地:沼田市西倉内町2889
交通:JR東日本沼田駅 徒歩20分
築城年:1532年
築城者:沼田顕泰
城主: 沼田氏-本庄秀綱-猪俣邦憲-真田氏
遺構:土塁、堀、石垣

【写真GALLERY】
 
(周辺観光) 名胡桃城

歴史と
見どころ
1532年 沼田顕泰により築城されました。慶長2年(1597) 5層の天守が完成したと云わっています。天和元年(1681)11月、5代信利の代に改易となり、翌2年に城は幕府によりすべて破却され堀も埋められました。本丸跡と西櫓跡の一部に低いながらも石垣が残ります。また捨曲輪からの眺めはこの城が築城されている丘陵の高さを感じさせます。

所見 【続100名城】 城は思った以上の高台(河岸段丘)にあります。この城を巡っては2つの話が残っています。まず北条氏と真田氏がこの地域を巡って攻防を繰り返し北条方沼田城、真田方名胡桃城を各々拠点としました。この争いが契機(いいきっかけ)となり豊臣秀吉の小田原城攻めが始まり北条氏が滅んでいます。 もう一つは関ケ原前夜、真田氏は犬伏(栃木県佐野市)において昌幸、信繁の西軍、信幸の東軍と袂を分かちましたが、昌幸は犬伏から上田城に戻る途中、信之の居城・沼田城へ立ち寄りました。しかし、留守を預る小松姫(本田忠勝の娘)は「義父とはいえ、敵味方に分かれた以上、城に入れるわけにはいきません」と昌幸の申し出をキッパリと拒否しました。現在城址に信之と小松姫夫婦の石像が建てられています。 

アクセス 【鉄道で】
JR上越線沼田駅から徒歩で20分程度ですが坂がきついです
【車で】
沼田城址公園入口に駐車場有り(無料)



  
(沼田城パンフレットより)  ■ 印をクリックするとその場所から撮影した画像が見られます。



沼田市観光協会内の沼田城復元模型

復元模型本丸跡に残る石垣本丸大門跡
本丸跡石垣手前が大門跡付近天守閣跡 今は少し盛土になっている程度本丸跡にある真田信之、小松姫の石像
本丸御殿跡本丸に復元された鐘楼沼田城の象徴です
  本丸から沼田駅方面  
  西櫓跡の石垣同じく西櫓跡
西櫓跡西櫓跡西櫓跡
  捨曲輪捨曲輪からの眺望



本丸石垣と堀の跡


沼田市観光協会内の天守閣模型


鐘楼 昭和58(1983)現在の位置に復元されました


本丸北側の西櫓跡の石垣


捨曲輪からの眺め

 名胡桃城

    


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