弘道館






【データ】
所在地:水戸市三の丸1-6-29
アクセス:JR常磐線水戸駅 徒歩8分
 開館時間:9:00〜17:00(冬季は16:30)  入館料:190円  駐車場あり(無料)
(現在、震災の改修作業の為入館できず)
歴史:1841年(天保12年)8月水戸藩徳川斉昭により創建 
⇒1872年(明治5年)12月8日弘道館閉鎖 
⇒1945年(昭和20年)戦災により一部焼失  
⇒1964年(昭和39年)重要文化財指定
メモ:水戸城は土塁の城であり遺構もなく城址としてはさびしい限りですが、三の丸にある弘道館が徳川御三家の城としても面目を残しています。  正門、正庁、至善堂と中心的な建物が戦火を潜り抜け重要文化財となっています。  この建物は良く映画の撮影に使われると見えて畳廊下を時代劇でよく見かけます。  残念なことに2011年の東日本大震災において甚大な被害を受け2012年6月より復旧工事が始まった(解体修理は不要とのことです)

リンク:  弘道館   内部リンク:水戸城


対試場 鹿島神社 鹿島神社 八卦堂
(弘道館内案内MAPより)  ■ 印をクリックするとその場所から撮影した画像が見られます。



 ■弘道館観覧入口と事務所  

正門はいつもは閉まっておりここから入場する 


 ■正庁  

藩主が臨席し、文武の大試験、その他の儀式などに用いられた。 重要文化財です 


 ■正庁  

 


 ■対試場前の間  

 前が対試場で武術試合が行われ藩主以下重臣達がここからご覧になった。


 ■正庁玄関  

 


 ■玄関内  

尊王攘夷思想の「尊攘」の掛け軸 


 ■正庁正席の間  

左の掛け軸が弘道館記碑の拓本 石碑の実物はいまでも裏手の八卦堂内に在ります。


 ■畳廊下  

手前が正庁、奥左手が至善堂 
この場所が良く映画に使われます


 ■至善堂(しぜんどう)

藩主の休憩所として造られました。 最後の将軍慶喜公が恭順謹慎された部屋でもあります
「要石(かなめいし)歌碑の」石摺り(拓本)が掛けてあります。 


 ■慶喜愛用の長持ち 

 


 ■至善堂にある井戸  

 


 ■孔子廟 表門  

 


 ■鹿島神社  

常陸一の宮である鹿島神宮から分霊を勧請してお祀りした。 明治15年県社に列したが戦災で消失した。 


 ■八卦堂  

弘道館教育の精神的支柱となる、「弘道館記」の石碑を納めたお堂 八卦堂は太平洋戦争末期に焼失したが石碑は高温の炎に包まれ大きく損傷したものの残りました。
2011年 東日本大震災において石碑表面が一部剥がれ落ちてしまったとのことです

    

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